アクアライン

収蔵作品 美術骨董品

館長

数百年から数千年の長い歴史の中の古美術には、いつも心を奪われてしまう。河井寛次郎ではないが、今ある有名は過去の無名には勝てないのである。それは単なる歴史の長さだけの問題でもなさそうだ。

館長

紅山文化とは?

紅山文化は中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。紅山文化の名は、内モンゴル自治区の赤峰市で発見された紅山後(こうざんご、Hongshanhou)遺跡に由来する。1908年、満蒙調査を行っていた考古学者の鳥居龍蔵が発見し、1935年に濱田耕作(浜田青陵)や水野清一らにより大規模な調査が行われた。戦後各地で発掘が相次ぎ、彩陶と細石器に特徴付けられるこの文化は1954年、紅山後にちなんで紅山文化と命名されている。

紅山文化

兎坐像

兎坐像「トルコ石」

B.C.4000~B.C.3000頃

H=18cm

トルコ石で作られ、顔が非常に恐ろしいことが特徴であり、兎と女性の合体しているようなモチーフである。この時代において宗教以前にアニミズムが台頭していたことを推測させられる。

女人座像

女人座像「玉象嵌」

B.C.4000~B.C.3000頃

H=30cm

玉にトルコ石を砕いて象嵌していることが特徴であり、上部の穴の空いたものは文献などによると女性器を表しているようだ。